願すことば
可部の願船坊にゃ聴聞が願すか願船か
願しゃ願すと話が願しょうが願船けえ願船ので願しょうて
「願すことば
」の解説
可部の願船坊にはお説教があるのでしょうか、ないのでしょうか
あれば話がありましょうが、ありませんのでないのでしょう
可部の願船坊にはお説教があるのでしょうか、ないのでしょうか
あれば話がありましょうが、ありませんのでないのでしょう
真宗は法の聴聞をもって信者の本領とするゆえに、
お寺での聴聞があるかないかを問い合わすのである。
古来、可部は石州浜田方面から広島への主たる街道であった。
外国人漂流者等を長崎へ送る街道となった。
一般人の通交も激しく、可部は広島へ向かう最後の宿泊地であり、大いに賑わった。
したがって、夜お聴聞にあうことも、楽しみの一つであったに違いない。
願船坊由来記
往古、圓明院(えんみょういん)と号す。真言宗にして空海の弟子、圓明法師を開祖と伝う。- 正保元年(1644)僧「僧頓」なるものの時にして真宗本派に転流す。
- 延享三年(1746)「聞隆」大谷派本願寺に転流し、願船坊を創設す。
- 宝暦十年(1760)大谷派従如上人より本尊阿弥陀如来絵像下付さる。(現存)
- 文久二年(1862)再び本派本願寺に改帰す。
そのときの大谷派宗主は乗如上人、本派本如上人なり。 - 本派では陰寺扱いとなり、明治十二年(1879)に願船坊の名称は公称となり今日に至る。
- 聞隆時代のことを記す二代「峯秀」の記帳古文書現存す。
- ”がんす”言葉は恐らく聞隆の願船坊創設以来にあらざるか。
大正時代のお寺の様子
10月24日(木)
仏教婦人会法座 朝席・昼席 三明 慶輝 師(呉 浄円寺) |
---|
12月2日(月)
秋供養・報恩講法座 昼席・夜席 海谷 真之 師 (江田島 光源寺) 12月3日(火) 秋供養・報恩講法座 朝席・昼席 海谷 真之 師 (江田島 光源寺) |